地球的な規模で天災が多 発している。
江戸時代の僧侶・良寛さんは越後の山奥で子ども達 と鞠つきをして遊ぶ穏やか なイメージだが、災難にあった知人に送った書簡は絵本で見るような温顔とは思えぬ内容である。 「災難に逢時節には諦めよ」「死ぬ時節には死ぬがよく候」と続 く。
仏教観では「諦めよ」は「無情の現実」を明らかに観めよ。「死ぬ時節」とは、 只今臨終と悟り死中に「活」を観いだせとの意と思われる。 この言葉は震災列島で生 きる日本人の学ばねばならない道を示している。
だが現代人は、生活援助にすがり身の安全を警察、消防に委ね、生きのびる道を他人任せにしている。
災害のあと、日頃人家の近くまで出没するイノシシやシカ等の死骸が見当たらない。動物的本能で生き延びている。
これからの教育は、五感を鍛え自助能力を身につけるため夏、冬休みなど山野に放り出し風や水、自然の恵み、畏怖感など自然との共存を学ぶことが大切だ。
企業でも原発事故や食材偽装など危機管理が欠如している。「おもてなし」 も結構だが、世界に対して毅然とものを言わねば、国家の前途は危うい。
(日報印刷・井上務)
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