竹原編集長の明るいコラム

やっぱり、よそとちゃうことせなアカン  (Free)

2015年1月25日

◎静岡は良いとこと

近畿圏を中心に取材していますが、昨年末には久しぶりに遠出し、静岡へ取材に行っていきました。大阪におられた方が、静岡に転勤。ぜひ、静岡の元気企業を取材に来て欲しいと頼まれ、出かけてきました。
静岡は、ボクが新米記者時代に3年近く過ごした町です。温暖で開放的な人柄、よそ者のボクでもみなさん親切にしてくれました。将来は、こんなところで過ごせたらエエなあ、思っています。

◎メロンでなくパキラ

静岡と言えば、メロンの産地でもあります。今もメロン農家さんがありますが、以前のような勢いはないようです。たまたま、取材で訪れた場所も、メロン農家が点在する場所でした。
同じようなビニールハウスですが、中で栽培されているのはメロンではありませんでした。それは、観葉植物のパキラでした。「メロンではなくパキラですか」とお聞きしました。

◎ベンジャミンを栽培

「父の代まではメロン農家でした。ボクも小さいころは、父のメロン栽培を手伝っていました」と。でも、「メロンは手間がかかって大変。それと私は観葉植物が好きでしたから」と、メロンから観葉植物栽培へ転換されたのです。
当時は、日本では観葉植物といっても、ゴムの木がある程度。まだ家で観葉植物を育てるという文化は根付いていませんでした。いち早く観葉植物に目を付け、ベンジャミンなどを栽培して出荷されました。

◎日本一のパキラ生産農家

その後、台湾からパキラを輸入され、栽培するようになります。今から約30年前のこと、そのころ日本ではパキラはほとんどありませんでした。社長さんは1本では面白くないと、数本のパキラを編んでオシャレな観葉植物に仕上げます。
それが受けて、日本市場でパキラが大ヒット。今では、大中小合わせて年間約20万本を出荷、日本一のパキラ生産農家になられました。

◎新しいことにチャレンジ

取材で訪れたときも、スタッフのみなさん忙しそうにされていました。台湾から仕入れたパキラを剪定され、最終の形に仕上げおられました。北海道から九州まで全国に発送されていました。
「メロン農家のままだったら、大変だったと思います。観葉植物に転換したことで今があります」と、社長さんは振り返られます。時代のニーズを見て、いち早く新しいことにチャレンジする。

◎大成功の要因

ビジネスでは、新しいことにチャレンジ、事業改革を進めないと生き残れません。農業も同じ。メロン栽培ではなく、人がやっていない観葉植物栽培にシフトされたのが、大成功の要因でした。
ビジネスは、やっぱり、ヨソとちゃうことせなアカンでした。


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